京都帝釈天
帝釋天本堂
長い参道を上りきると、お城のような反りの曲線が美しい石垣が聳えています。
石段を上り大きな法輪をくぐると、京都帝釋天の本堂があります。
室町時代の応仁年間・江戸時代の寛永年間と、2度の火災に見舞われましたが、ご本尊の帝釋天は焼失を免れ、貞淳4年(1688年)に園部藩主・小出伊勢守によって現在の本堂が再建されました(京都府指定文化財)
本堂の前に立つと、中央の宮殿に帝釋天が祀られており、脇侍として「四天王」が祀られています。多聞天(毘沙門天)像・増長天像は創建当時のものですが、持国天・広目天は消失していたため、平成19年に新たにお祀りしました。
ご本尊の帝釋天は秘仏であり、普段は公開していません。
びんずるさま
本堂の前に立つと、すぐ左手の祠の中におわす木像は「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」通称「びんずるさま」といいます。
びんずるさまは、お釈迦様の弟子の「十六羅漢」の中でも特に神通力が強かったとされる方で、病気を治す力を持っていたと伝えられます。俗に「なでぼとけ」とも呼ばれ、昔から自分の身体の悪いところと、びんずるさまの同じところを交互に撫でると、よくなるといわれています。どうぞ撫でてお参り下さい。
稲荷社
本堂向かって左奥に、稲荷大明神をお祀りする社があります。
お稲荷さんは、本来は穀物・農業の神ですが、神仏習合思想においては、江戸時代までは仏教における十一面観音や聖観音を本地仏とされていました。
京都帝釋天でも、毎年「初午」の行事とともに、大切にお守りしています。
八幡社
本堂向かって右奥には、八幡大菩薩をお祀りする社があります。
八幡神は、古より全国の武家から武運の神として崇敬を集めました。早くから神仏習合がなり、鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩と呼ばれています。
京都帝釋天においても、秋の庚申祭には八幡社の前で国土安穏・万邦和楽のご祈禱が行われます。
奥の院
本堂の裏手、稲荷社の横から、奥の院へと続く道が続いています。
その道を150mほど上っていくと、しめ縄の掛かった大きな岩が見えてきます。これが奥の院のご神体「天降石(てんこうせき)」です。江戸時代の書物に「天から岩が降ってきた」との記述があり、人々はこの岩を、天からの賜りものとして崇め奉り、大切に守ってきました。近年までこの岩を覆うように、奥の院の社が建てられていましたが、現在は安全面の配慮から取り壊されています。
大梵鐘「よろこびの鐘」
境内には大梵鐘「よろこびの鐘」があります。
参道にある「願いの鐘」の仕上げとして、ご自身の手で撞いていただけます。大晦日には、参道の鐘々に明りが灯り、お灯明の数珠玉のように輝きます。108の除夜の鐘を自分の手で撞けるという、全国でも類を見ない大きな功徳を得ることが出来ます。
穴の神
この穴には神鬼が棲むと言われ、祭事などで賄用の道具が必要となったとき、この穴の入口に詣で「私の家では何月の何日これこれの道具がいります。どうかお貸しください。」と願をかけておくと、その指定した日の朝、膳や椀などの道具類が、必要な数だけ間違いなく、神穴の入口に揃えられていたそうです。
厄難・不運除去の霊場
本堂前の三宝上に置かれている厄難不運飛ばし鶴(ご祈祷済みの白の折鶴)を左の手のひらに乗せ、体中の厄や病、不運や不幸等を全部はきだすつもりで大きな息を吹きかけてとばします。
静かに目を閉じると、それらが流れ去る水音が聞こえてきます。
つぎに、徐厄招福が叶うという「 (オン)の鐘」を自分の年齢にあわせてならします。例えば32歳であれば、はじめ3つたたいて少し間をおき、あと2つたたきます。
お滝
稲荷社の後ろから左の方に下りて行くと、水音とともに一筋の滝が見えてきます。
昔は、この滝で滝行が行われていました。滝行とは、冷たく流れ落ちる滝の水に打たれることで、自分自身と向き合い、精神力を養う修行です。
元々は、心身の穢れを清める清めの儀式として、また豊作祈願や雨ごいの祈りを込めて行われていましたが、現在では、雑念を取り除き、穢れを清めるための行為として捉えられています。
非常に危険な行ですので、個人の判断で滝に打たれることは禁止しています。
「願いの鐘」108基
700mの参道には、108の「願いの鐘」が念珠のように連なります。
その一つ一つに願いを込めて打ち鳴らすとき、あなたの願いが鐘の響きと共に山の峰々を越えて、帝釋天のもとへと届くでしょう。
観音堂
鐘を撞きながら参道を上っていくと、右手に観音堂があります。
ここには石仏の子安観音がお祀りされており、古来より「難産の憂いを救い、子孫長久を守らせ給う」と伝えられています。お堂の周囲には、安産のお礼の赤い幟が奉納されています。
金刀比羅宮遙拝所
観音堂の向かいには「金刀比羅宮遙拝所」があります。
京都帝釋天のご本尊は、四国の金刀比羅宮に祀られている金毘羅大権現と同木であるとの言い伝えがあり、遠く離れた此の地から、彼の地をはるかに拝むために設けられた遙拝所です。
山の神
観音堂から、参道をさらに上がっていくと「山の神」の祠があります。
以前は深い谷にお祀りされていましたが、安全性の問題から、この地に移設されました。帝釋天の伽藍と周囲の山々を守る土地神として、丁寧にお祀りしています。